ささこ's Life Log

渡英記録✯イギリスワーホリ/YMS 2.2019-

気づいたら・2020年

明けましておめでとうございます。もう1月も半分過ぎたけれど!

ブログを振り返ってみたら11月で更新が止まっていて、一体私は12月何をしていたのか振り返れない・・・。

覚えているのは仕事に対する負の感情だけで、クリスマスも年越しも何も思い入れがなかったのは今更ながら勿体ないな~と後悔しています。

更に年が明けてから今までは絶賛体調不良の嵐で精神的にも追い詰められ、今後についてポジティブな感情を抱けなくなってしまったことに更に悲観的になり・・・負のループから抜け出せないまま、今に至ります。いと悲しきかな。

我ながら、ここまで不平不満を唱えているのが呆れるくらい、今の仕事に対してモチベーションが保てず、早めに蹴りをつけるかどうしようか悩んでいます。
何に対して悩んでいるのかというと、もちろん次の仕事と経済状況の変化への恐れ。
今の会社では給与を含め福利厚生が充実していて今までにないくらいだったので、簡単には手放せないのが現状。ただ、仕事内容や負荷、マインドが下がりつつありどうしたら改善できるのか上司に相談しても解決せず。
勧められたのは、「職場から近いエリアへ引っ越しすること」と「残りのビザの期間で苦手を克服することへの意識移行」。引っ越しに関しては、実は既に動いていて今週末に内見をする予定。

問題なのは後者で、苦手克服の意識移行という発想は全くなかったのですが、良いようにも悪いようにも捉えられる。というのも、会社としては人手が足りなくなるのは避けたいので成長の機会とか良いように導くための一見ポジティブなアドバイスに聞こえる。だけど、自分の人生として考えた時に、「克服すること」が必要なのかどうか、考えてしまう。それ、キャリア志向の人なら必要かもし得ないけれど、私には必要ない。

日本から異国に移り住んでもうすぐ1年が経つけれど、やはり日本の働き方って異常。というか、人権問題?人としての尊厳の在り方について違和感しか感じなくなってしまいました。よく、新社会人なんかに送られる言葉、例えば「忍耐」。
何のための言葉なのかって真剣に考えた時に窮地から救われるために、耐え忍んだら希望がさもあるかのように洗脳されているかのような言葉だと思う。つまりは、辛いことを当たり前にこなしなさいね。と良いように使われるための言葉とも捉えられたりね。

そもそも、辛いが前提という考え方って可笑しくない?何のためにこの世に生まれてきたの?楽しむことへの罪悪感を感じるのは何故?そういう風に教育されてきたから?
こういうことを書くと、何故こうもネガティブ思考なの?考えすぎだよ。と言われるけど、考えることを止めることはできないのでその言葉が無意味です。人間なんだから、考えることが特権なのだから良くも悪くも考え続けるのだと思う。

こうやって自分でも上手く表現できないことをそのままつらつら綴っていると、結局答えは出ているんだなーと理解する。あとはタイミングですね。なるようになるのだから、あんまり詰めすぎない方が良いのかも。
どこに向かっているのか、どこに行きつくのか。死ぬまで探求し続けるんだろうなと思います。何を感じたかということは記録しておかないと、気持ちなんてすぐ塗り替えられてしまうから。

そして残り1年のビザを楽しく利用するためには、何をしたらいいか。結局探さないと答えはでないんだなー。待っててもただ時間が過ぎていくだけ。